LAPIN NOIR

Blog | Photographer | Sapporo

オールドタウンに流れる歌



 街の人出が落ち着いた日曜の夕方。とあるお店の前を通りかかると、CDコンポから遠い日の小さな片思いの歌が流れてきた。何だかちょっぴり切なくて素敵。山下達郎の『片思い』を聞きながら、「いい歌ですねえ。」と店主に声を掛けた。最初に買ったのは随分と昔で、『クリスマス・イブ』が入っている『MELODIES』だった。去年、CD整理したのをきっかけに聞きなおしていて、持っているアルバムはシュガー・ベイブ含めて4枚あった。『ジャングル・スウィング』や『メリー・ゴー・ラウンド』などの夜がテーマの曲は今でも気に入っている。『RIDE ON TIME』を持っていると伝えたら、奥にあったレコードを見せてくれた。そして、しばらくお店の前で立ち話をした。私はこのお店の前の通りを、「たそがれ通り」と勝手に名付け、タイミングが合えば夕方にスナップ撮影している。「夕焼けとか月が出ている時も凄く良くてね、『蒼茫』がぴったりだよ!」と店主が言い、西の空へ視線を移した。

 現在、私は街へ働きに出ている。街で働くと、まだまだ頑張らなければな、という気になる。今回は異業種へ飛び込み、ビジネスライクに徹して黙々と仕事をしている。勤務時間や服装を変え、繋がれていた鎖が外れる様だけれど、どんな仕事をしても替わりはいくらでもいるなと思う。誰かがいなくなれば増員や配置換えをして早急に補うだけ。例外はあるにせよ、組織とはそういうもの。だからこそ働く側も所属を自由に変えられ、さらにこれからはAIが私たちの代替になるという。ショックだったのは、ついこの前まで私に「頑張って!」と軽く檄を飛ばし、やさしく見守ってくれた管理部門の責任者が朝、出勤せず、自宅を訪ねると倒れていて、そのまま帰らぬ人となった。人生って、こんなにもあっけないものか、と思った。誰かがいなければ成立しない会社では困るが、身近で今回と似た出来事が続いたので、ちょっと考えてしまった。

 『蒼茫』が収録されているアルバムのブックレットには、山下達郎の思想信条がよく表れている曲、と記されている。若い頃はまったく耳に入ってこなかったのが、40歳を過ぎて、ようやくこの歌の意味を理解できるようになった。悲しいことがあっても、今まで生きていてよかったな、と思える場面にも出会えるから、おもしろいものだなあと思う。この歌は無名の、市井の人々への賛歌だ。たそがれは、街の表情を変え、歩いている人々の存在をやさしく朧げにしてくれる。そのやさしさに触れ、頬をぬらしても在り続ける限り、また灯りは灯るはず。日が落ち、夜を抜け、迎える朝を皆んな繰り返している。私は写真を撮る時、何度も同じ場所を歩く。そのたびに消えるものは消え、残るものは残るだろうと悟っていく。分かっていても拭えない想いは引き連れて、鈍い日も、虚しい日も、悩んでいても、撮ることだけは何とか続いている。一見変わり映えのしない、いつもの場所を撮り続ける中に発見があって、どんなに小さなものでも自分の世界が変わるのを知っている。例え、その発見に心躍らなくても、懲りずにまた写真を撮りにいく。有名になりたい、地位や名誉が欲しい、慕われたい、フォロワーやイイネを増やして信頼されたい、という類の欲求には振り回されない方がいい。勿論、自分の撮った写真をたくさんの人に見てもらいたい気持ちはあるけれど、程々に…と思う。そうなりたい理由や別の目標が明確にあるならまだしも、ただの承認欲求でしかないなら、気づかぬうちに影響され、大切なものを見失い、縛られてしまう。他人に対して過度な期待をしない方が、伝えたいことや表現に素直でいられる。『蒼茫』の歌詞について、憧れを抱かないのは、経験豊かな大人が持つ心境とも言え、「 踊らされるな。惑わされず、生き続けている本当の意味を見つけよう。」と捉えられるし、私もどこかでそれを「待ち望んで」いる。いつか辿り着く果てを前に、時に寄り添って欲しい歌があるのだと思う。山下達郎には、ぜひサブスクの解禁をしてもらいたい。

 この日、最後に見た「たそがれ通り」は、道路脇に停車中の車両が3台、小型犬に引っ張られながら散歩する人、奥へ向かう人、こちらへ来る人、タクシーから降りようとする人がいて、お父さんらしき男性と小さな子供が手を繋いで、私の数メートル前を横断していった。

 


2022.10.21記